20年と365日のまとめ:『人生ナメてたな。』

 

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5月11日 23時56分。

バイトを終え、最寄駅から家までの
真っ暗な道をひとり歩きながら
ふとこれまでの20年を振り返っていました。

疲れていたのもあって
あんまりポジティブなことも
考えられなかったのか
すっとこの言葉が浮かびました。


『人生ナメすぎてたな。』



昔から、僕のことを良く知る
親戚や友人から

『おまえはこれから苦労するぞ』

と言われた経験が何度かあり、
その時は全く理解できませんでしたが

21歳を迎えて
ようやく、その意味が
わかり始めてきた気がします。

人生ナメてたという考えに思い至った
これまでの場面を思い出してみると
いくつかの共通点があり

これが僕の20代の課題だなと
強く感じました。


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【自信。】


10日の午後、
サマーインターンに参加するための
面接を受けてきました。

その面接では
自分がこれまでやってきたことについて
色々な角度から質問されたのですが

別に恥じることもないことを
やってきたわけではないはずなのに

なぜか自信を持って
話すことができない。

そんな壁にぶつかりました。


帰りの電車でなんで自信を持って
話すことができないのかなと
考えていると


やってきたことに
自信を持って答えられないのは

その一つ一つを
やりきったと言えない甘えが
あったのではないかなと思いました。

逆に、

一つ一つの事象を
本気になってやり切ったり、
考え抜くことができたと
自分が感じていれば

なにひとつ恥じることなく
自信を持ってハッキリと
言い切れたのではないか。

そう感じたからです。


それを裏付けるものとして

高校での経験に関しては
恥じることなくハッキリ言える自分がいます。

これは良くも悪くも
逃げることのできない環境下に
自分が入り込み、色々ともがいた経験が
あるからだと思います。

でも、

そのような環境下から
抜け出した大学でのことについては
ハッキリとした自信を持って話せません。


簡単にまとめると、

自信を持って話すためには
自分がある程度納得できるぐらいに
そのことに取り組んでおかないと
自信を持って話すことは難しいということです。


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【さらに深掘って見えたこと

もう一つの課題は
『圧倒的な当事者意識のなさ』だと
思っています。

ここでの意味は
自分の人生を自分のものであると
意識していることです。

思い返せば僕は
小さい頃から自分で決めて、
それに取り組むということを避け

誰かに決めてもらうということを
無意識的に行ってしまっていたと思いました。


こうやって
自分で決定するという行動を
怠ってしまったことで

選択した結果から生まれる
責任から逃れたり

責任がないから本気になれなかったり
したのではないかと思いました。



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【んで、これからどうするのさ?】

 

聞いていただきありがとうございます。
こんなジメッジメした話を聞いていても
気分悪くなりますね。


結論から言えば、
まず20代は以下のことを大事にして
生きていこうと思います。


・愚直に努力をする。
 才能、天才という言葉に逃げるのは
 自分がラクをしたいという甘えだ。


・責任逃れをせず自分の選択をして
 意思決定をしていく。


・本気になることを恐れない。
 その結果生まれる失敗は
 あとでオイシイ話のネタになる。

 


高校までの自分は
鈴木1.0

大学から今の自分は
鈴木1.5
でした。

これからは
鈴木2.0として
この長い人生を生きて行きます。


自己決定をしていく中で
皆様に多くの迷惑をおかけすると
思いますが

これまで通り
温かい眼差しで見ていただければと
思います。

ありがとうございました。
よろしくお願いします。