Dark Tourism.
あなたは Dark Tourism という言葉を知っていますか?
日本語に訳すと「負の遺産」。
つまり楽しくて明るい歴史を持った遺跡ではなく
辛く悲しい歴史を持ち、未来永劫に伝えていくべきだと
されている遺産のことです。
その象徴的な場所として
1979年に世界遺産として指定されている場所
きっと誰しも一度は教科書で見たことがあると思います。
大量のユダヤ人とみなされた男性、女性、子どもが、
ナチスドイツの手によって無慈悲にも殺されたという場所です。
正直、この場所で詳細な歴史を説明すると
ものすごく長くなってしまうので割愛させていただき、
僕自身が実際に現地を訪れて感じたことを記録させてもらいます。
↑アウシュビッツに連れてこられた人が持ってきたカバン
この荷物を自分で開ける人はひとりもいませんでした。
4-10月の混雑するシーズンは専門のガイドを同伴させなければ
入場できません。
ガイドは英語ガイドやポーランド語もありますが
中谷さんというアウシュビッツで20年間、
たった一人日本語ガイドをしてくれる方がいらっしゃいます。
今回僕はこちらの中谷さんにガイドをお願いして
アウシュビッツを見学してきました。
↑遺体を焼く窯。
スピリチュアル的な話で申し訳ありませんが
これを撮っているときの携帯の画面には
いわゆるオーブのようなものが写り込んでいました。
この方のガイドは政治学的側面の説明が多く
大学の専攻的が一応政治学の僕にとっては
座学の内容が現実とリンクしててとても面白かったです。
そんな中谷さんのガイドを聞いていると
感じることができたので、僭越ながら記述させいただきます。
【「民主主義」とは何かを考えさせられる場所】
まず僕が一番印象に残っているのは、
中谷さんのガイドの中に何度も出てきた
『民主主義を選んでいる』というフレーズです。
僕は普段、民主主義によって統治されている日本という国で
当たり前のように生活をしていて
それに対してなにひとつ疑うこともしませんでしたので
民主主義を選択しているという感覚や
考え方は新鮮でした。
日本はヨーロッパ諸国が自由や人民による主権獲得の
プロセスとは異なり、
民主化を勧められたりしたので当事者意識が薄いのかも
しれません。
↑ナチスの政策に反対したとして捕らえられて
しまった人たち。本当のヒーローはこっちのはずです。
アウシュビッツが恐ろしいのは
この民主主義による多数派の賛成を受けた
ナチスドイツによって推し進められてしまったことに
あります。
民主主義は義務教育課程で教えられて
感覚的に良いものだと感じる部分があります。
確かに、一国の王が全てを決めず
間接的ですが民衆の意見を政治に反映させられることが
できるなど良い側面もあります。
一方、民主主義の脆い側面も存在し
アウシュビッツではその脆い側面を理解することが
できました。
具体的に2つ並べていきます。
【⑴大衆迎合】
大衆迎合とは、一般大衆の不安や恐れ、利益などを利用して
大衆の支持のもとに今ある、いわゆるエリート的な存在の人と
対決しようとする政治思想のことを示します。
当時のドイツは第一次世界大戦の敗戦により
課せられた莫大な賠償金と、
1929年に起こった世界大恐慌が合わさり
国内経済は破綻状態に陥り
国民の生活をひどく悪化させました。
ナチスはドイツ民族の優秀さを説き、
失っていた自信や誇りを取り戻す政策を提示して
政府に反対する中産階級を取り込んで行きました。
民主主義なので、
多数派をおさえてしまえば主導権を握ることが
できます。
また、中産階級をおさえることで
周囲の意見に流されやすい層を獲得しやすいといった
戦略もあったのではないかと僕は思います。
このように
その意見が正しいのか正しくないのか
よくわからないけれども、
日々の生活に疲れたから
なんかやってくれそうな気がするという
雰囲気に流され、
その結果
とんでもないことをし始める
政権が樹立されてしまう危険性をはらんでいるのが
民主主義の一側面でもあります。
【⑵「少数意見の尊重」という概念】
あなたも「少数意見の尊重」という言葉を習い
テストで点数を採るために覚えたと思います。
意味合いとしては、
一般的に物事を決めるときに多数決を採用している民主主義は
その制度上、多数派と少数派に分かれます。
その際に多数派は少数派の意見に耳を傾けて
その意見も重要なものとして扱おうというものです。
が、しかし、
今言ったことは行われているのでしょうか?
先ほどのように「少数意見の尊重」という概念的なものに
なってしまうと感情的な側面が排除されてしまい
一気に思考を停止させ、
少数意見の尊重が行われるべきタイミングで
忘れさられてしまいます。
という僕も少数意見の尊重という過程を
無視してきた経験があるので、具体例として詳しく
説明していけると思います。
僕が3人1組のチームで与えられた課題に対して
解決案を考えていた時のことです。
僕と1人の方は意見が一致して納得感を得ていたのですが
もう1人の方はあまり納得しておらず、
僕たちが推し進めている案で行くことに反対していました。
これまでお話ししてきた少数意見の尊重を考慮するなら
意見が一致しないもう一人の方の意見にしっかり向き合い
両者がある程度納得する位置にまで案を変えることが
必要になりますが、
僕らには制限時間があり、その残り時間も
あとわずかになってしまいました。
時間がなくどうしようもなくなった僕は
反対するもう一人の意見を聞くだけ聞いて
特に何も変更をせず、僕と賛成するもう一人だけが
納得する形で提出してしまいました。
感情的な側面を思い出してみると
一人だけが納得せずに反対してきたとき心の中で
『もう時間もないのに、反対するなんて
先に進まないし、めんどくさい』
という感情になりました。
これが少数意見の尊重を概念上で
押しとどめてしまう原因であり
多数派の暴力でもあります。
このような構造が民主主義においては
起きてしまうので、一概に民主主義が絶対的に素晴らしく
民主主義にしておけば安心安全だということは
言えないのではないでしょうか?
今回僕が訪れたアウシュビッツのように
「歴史の教科書では見たことがあるけれど、
実際には行ったことがない」
という場所は多く存在していますが、
やはり本物を見てみると
受ける印象は大きく異なります。
写真では感じることのできない
アウシュビッツの広大な敷地。
貨車から降ろされた後、
ドイツ軍によって労働力として使われるのか
そのままガス室へと運ばれてしまうのか
その選別を食らうまでの道。
選別を受けて
ガス室へ送られるまでの道のりの長さ。
ここへ連れてこられた人たちは
周囲の景色を見渡して何を感じ、何を思ったのか。
平和ボケに慣れてしまった日本人は
もう一度、見つめ直す必要があると
考えさせられました。
政治学科に所属する者として
理解を深め、良識のある判断ができる者に
なっていきます。